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シワがあるほど?で、この選手がヨめる

本多初年度から4年目までgloves
口蹄疫問題で苦汁をなめた宮崎はじめ九州各県にとっては、まさにホークスが勝ってくれなァいけんシーズン。

7年ぶりの逆転優勝劇。その原動力1・2番コンビの川崎はさることながら、本多雄一内野手の活躍があってこその優勝だった。じつはそのウラに
こんなくたびれたグラブが遺されていた。
そのお宝との出会いに、ボクは多くの事を学んだ。

このチーム編成の長年の課題。
それはやはり、この川崎はじめ、クリーンアップの松中に小久保という出塁しなくてはならない決め手連に、調子のムラが大きいため、どうも勝ちパターンが不安定だった。

いい時には大差で勝ち、悪い時にはシ~ンと沈黙してしまう。その王監督当時からの大艦巨砲主義、ひるがえっての“虚弱体質”は並立を続けたまま、ホークスの弱点として残っていた。

それを二番バッターに定着しフル出場できた今シーズン、本多は打率ほぼ3割(.298)、盗塁王59個という数字を稼ぎ、そうした調子の乱高下体質のカバーに貢献した。

いきおい、本多がいる事で打ったり送ったりすることで、川崎もしくは小久保が塁に残っている局面が増えて、後続の成長株松田までが得点力として効いてくるのだから大きい。

だから彼のこうした数字が、そのままチームの勝率向上へとシンクロしたわかり易い”躍進”だったのではないか。
 松田や本多がルーキーでプロ入りした当時の直属の上司というと、二軍監督をつとめていた秋山幸二さんだった。

 まさに炎天下のファーム(=農場)で陽光をいやというほど浴びて育ってきたこれらの作物はどっしりとした充実感ある収穫となったわけだ。
 来季になるとおそらく、同じようにファームで苦労が続いた小斉あたりの一発屋が出てきて、この下克上ブームはさらに面白くなりそうだ。

 ビールかけの騒ぎの中でも本多の弾けっぷりに、ボクは感ずる事が多かった。

 5年目のこの’10シーズン、故障中の西武片岡がケガで「運休」してしまった間隙をぬって最終戦で盗塁王レースのトップに並んだわけだが、’08などは30個前後でさらに同じ数だけ片岡には差を付けられていた事を考えると格段の進歩だった。

片岡のように、スタート権を自分で判断できる身分とは違って本多の場合、ベンチの指令によって盗塁の「運行」が判断される。

だが、本多にはハンデがあった。自由裁量の片岡(犠打計14個)よりも『自重』する機会は多いからだった。

なのに本多は犠打数も44を数え、それでチーム記録を更新するほど多く貢献、それほどの数字を“犠牲”にしてのこの打撃成績に盗塁数は、きわめて重い価値があると評価するべきだ。

その証拠(?)に、優勝が決まったと伝わった瞬間から塁に出たら走り、日曜のゲーム途中、そこからでも二つの盗塁を成功させてのゴールで、日ごろのストレス(?)を解消して見せた。

さらに最終回などは、1塁手が本多に無けん制状態だったこと(盗塁は記録されない)や、『同率首位者は抜け駆けをしない…』という球界暗黙のルールに従い、『単独トップ盗塁王』にはあえてチャレンジしなかったことには好感が持てた。

『自分は脚と守備でチームに貢献するんです』

そう本多はデヴュー以来語っているが、打率だって3割もマークしているのだから、一躍優勝の原動力と讃えられても間違いはないだろう。
MVPはまだしも、『相撲なら三賞』の充分に圏内で、顕彰されるのが見識だろうとボクは思っている。

さて本多につき、非常に興味深い資料がここにある。

本多がデヴューのシーズン’06季から07・08・09と、毎年実際に彼が使いこなした同じモデルのグラブを並べてみた。

彼の“師匠”には、隠れた名手鳥越裕介(二軍守備→現二軍監督)がいる。彼は

中日を皮切りにホークスのそのほとんどをショートとして、13年間で守備率なんと.977。

脚こそ早くないものの『ホークスの守備といえば鳥越』。試合の終盤、『守備がため』でこの名前がコールされると博多っ子は喜んだ。守備の巧い野手がもっと評価される質の高い球団マネジメントをしていたら、もっと現役(06季まで)を長く続けたことだろう、惜しまれる選手のひとりである。

さらにこの師弟とも、久保田運動具店の看板グラブ作家江頭重利の信奉者(先の片岡も、であるが)。

もともと本多の実母も女子ソフトボールの全日本クラスの選手だった女傑。

「少年野球」以前に、まずポンはソフトボールからボールと親しみ、このママの鬼特訓で育てられたスジの良さに、鳥越だけでなく江頭も注目することになる。

 写真のグラブ①から順に②が二年目、④が昨季の実使用。

 4年目のグラブをポンが使い終えると江頭の手に戻り、手にしたとたん、制作者78歳の相好(そうごう)は崩れ目は細まった。

さすが親の教育がエエんですなあ。年々進歩して来よる。グラブがぜぇんぶ物語ってますよ。』

 見ればグラブの革が黒っぽく変色していいる部分が、年を追いにしたがい「手のひら部分全体」へと面積を増やしている。

これは本多がグラブのどこに打球をぶつけ、どの場所で処理してきたかその範囲拡大ぶりが判る。

 ②~③と時計回りにめぐるにしたがい、その面積は増えてまるで卓球のラケットのように、捕球面は3Dの立体からフラットな形状へと使ううち、変形させられているのが見て取れる。

 グラブを差し出し、打球を当てて角度を変え、(添えていった投げる側の)右手へと短くトスをする…プロの極上ワザの痕跡がここに遺されている貴重な証拠。

『だけど、これ、このシワをみて下さい』と江頭氏は④を差し出す。

『コレこう、シワが何箇所にも寄っとるでしょ。こうなったらもう一流なんです。』

たしかに④には、それまでには無かったシワが寄ったスポットが捕球面に幾つか浮かんでいた。

『コレはね、本多くんがボールを掴んどる(つか)っていう証拠なの。ボールを捕る瞬間に内側からガシッっとねボールを掴んでいるからね、シワが寄るの。』

うわ~っすごいなあ。直接手でこれを触れていた自分がとたんに申し訳なくなった。

 モノはヒトである。
 モノの価値はヒトの努力と敬意によって決まる。
 下らぬ鑑定士など、そこに誰が必要とするだろうか。
本多4年目グラブ捕りシワ


 このポンの1年間の充実ぶり、人間も動物のように「発情」をして、表現や運動能力が一気に昂揚する年限がある

 そういった意味で言ったら、おそらく昨季からの本多は『サカリ』がついているのだろう。この地味だった男が、グイと崇高なる高みへと一気に間合いを詰めたそんな気がしてならない。

 それにしてもこの品々はたまらなくいい。
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テーマ : 日記
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プロフィール

前頭前野 重雄

Author:前頭前野 重雄
前野 重雄:東京下町生まれ&育ち。(有)流体力学・旭堂代表。

70年代以前は中学3年から週刊誌での報道取材記者、70年代初頭HAWAII移住7年。中盤からムービーカメラを回す。帰国後はライター。第1回週刊少年ジャンプ小説ノンフィクション大賞1席入選。
その後[なんでも鑑定団][うたばん][週間えみ~SHOW]で鑑定士として長期出演。雑誌連載多数。警視庁捜査一課特殊犯SIT部隊防弾装備を設計制作。単行本に「球界遺産」「客は幾万 来なくとも」など。GREE公式ケータイにブログ

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