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千葉ロッテ日本一”弟分”キャンプ突入記

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『いやあ、やりましたねぇ。よくあれだけ選手がやってくれました。』

安房鴨川で迎えてくれた、ファーム総合コーチの袴田ヒデさんはうららかな日差しのもと、いまどき真っ黒な顔で白い歯だけむき出しにして喜んでくれた。

おい、なにやってんだマリーンズファンよ!
朝から午後遅くまで見物していたって、観客はせいぜいのべ50人だぞ~信じられない。
普通の工事現場だって、これくらいの通行人なら立ち止まって見物する数だ。

昨日の興奮っていったいなんだったんだ。
ゆうべから会う人逢う人みんなに
『おめでとうございます!ロッテすごかったですねえ!!!』と褒められっぱなしだ。
なんだかオーナーってこんなに気持ちいいんだろうなあと、ちゃっかり相乗り気分エンジョイ。

ところが、鴨川駅前喫茶店おばさんから駅員タクシーの運転手さんはじめ、鴨川のみんな「何でこないんですかねえ」ってぶったまげていました。
『ここは川崎球場か』(ちげえよ、[47人]が最低記録だったけど 笑)
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不義理のボクにはなつかしい袴田のヒデさんは、

『でもね、1軍はいちぐん。僕らファームは関係ないっちゃあ関係ないんっすけどね。まずはこちらが浮かれてちゃいけないんで。しっかりやってなけりゃ』
そう、自ら大番頭役のファームキャンプにカツを入れ続ける。

マリーンズのファームも終盤戦になったら粘り強い底力を発揮した、下馬評をひっくり返しながらの善戦を重ね、最終戦の優勝候補筆頭「対巨人」にも逆転勝ち。
新潟でのファーム日本シリーズ戦も逆転で阪神を粉砕、日本一となった。
『いやあ、監督がものすごく頑張ったんですよ。』とヒデさんはファームでの1年を振り返る。

そこへ明るい顔がやってくる。
『やあやあ、ナンで来たんすか。』

何で来たのか?は、『「わかしお3号」かよ』の「HOW」ではなく、「The Reason Why」の『いってぇナンの用だ?』のことである(笑)。

「いや、こうなる(日本一)の前に挨拶に来ていなくちゃダメだったんですが」と言いわけ。

「ヨシヒコさん」こと高橋監督も、太く大きな白い歯を上下にきらめかせて嬉しそうに右手を差し出してきた、背番号は「87」。ヒデさんも「85」。気付いてみればどちらも、ロッテナインには縁の深い”伝統ある背番号”だ。

ヨシヒコさんの、この屈託のない若さと明るさがマリーンズの弟分を一足先に日本一にして、良い面でのプレッシャーを一軍に与えて貢献していた。
一軍の西村さんや、投手コーチの西本さん、打撃コーチの金森さんも貢献したが、投手コーチはともかく、打撃については1年目の金森さんよりも、このヨシヒコ&ヒデさんの耕した土壌から生まれてこなかったら、何も結果は出なかったはずだ。スポーツメディアは優勝の謎を我田引水、ちょっと安易に入稿ばかりを急いでいないか。

「05年の日本シリーズ」試合前に、ご主人の高畠バッティングコーチの遺影を閉じ込めたキーホルダーをヒデさんに托し、配ったほとんどの選手がユニフォームのポケットにしまいセの覇者阪神を圧倒したあの時の日本一。
その「形見」を手渡したあと、招待席の1塁側ベンチ脇スタンドに座った高畠未亡人と中学生の息子さんが最初に眼にしたのはこの『87』だった。

これに二人はクギ付けとなった、そしてふるえた。
その番号こそこの球団、このユニフォームで最後に高畠コーチが着けていた背番号だったからである…。去った想い出と『同じ後ろ姿』がそこにあった(「客は幾万…」より抜粋)。

こうした”05年の際の初心”に還り残された優勝への可能性に挑戦してもらいたい…。

キミらを今も天からタカさんが見守っているよ…
それを呼び掛けたい一心で、あの拙い本の印刷をボクは大特急で急がせて間に合わせた…というのが真相で、『読みやすく完成された本』だけでいいならば、べつにもっと後になっての出版でも良かったのである。
筆者の人生にとっての濃~い思い入れや、ある時期たしかにクロスした人びとへの、”期待や希望を込めた賭け”だってあっていいじゃないか。そう思った。
そう、これはロッテOBや生涯の友人、そして何より故人となった恩人への『メッセージブック』なのだ。

こう考えると不思議と自分でも納得がいった。
だから、「自分が出る」とか、「本が売れる」…というのはやっぱり第二次的なものだ。
それが『日本一となった!』昨晩で、その夢が実を結んだ。

世の中には「優勝したから」…といって、ひと様が造ったうねりに乗じる便乗商法というものがある。
ボクの場合はナンなんだろう。
ナンだ、この押しかけ商法みたいな(笑)実力闘争は。
一か八かのバクチだったみたいな気もしてきた。

『現実』のほうが、しっかりとその発行よりも遅れてつぼみから花を開いてくれた…、次々とかなう『開花・結・実』に目を見張るこの2ヶ月間だったのである。

それを彼らは実現してくれた…。

本で触れたりこうした感動があると伝えた事柄が一つや二つではなく、ズラリと的中してしまったなんて経験はおそらく自分の人生最初で最後だろう。

ちょうど、競馬で言えば「3連単」どころか、5着までの全順位を順番に狂わず的中させる『5連単』を当てたようなものか(笑)。
しかも千葉ロッテマリーンズという、『「12頭だての10番人気」みたいな不人気馬から』馬券を買っていたようなものだから、ハナが高いのである。皆さんも「えらい」と思ったら何かください(笑)

ヒデさんがテレながら『10人しか野手連れてきてないんで、ボクがバッティング投手なんですよ。』と頭を掻く。そのかわり、20人の投手にそれを受ける裏方さんなど含めると、こちら投手組は計30名の陣容となる。(投手の方の荻野っていい。後はズルさが必要なだけだ)

この置いた投手が、やにわに予告投球の声をかける
『お前、(次は)ホームランな!…「内角の高め」だからな。』

そう言った袴田ニワカ打撃投手の投じた剛球(ヘロヘロ球)に、なんと若手はあえなく豪快な空振り!

『ワリイ ワリイ』空振りを奪った投手が詫びる。

笑った笑った。だって、この投手「外角低めの(しかも)ボール」を投げたのだ。

10分間のノルマ投球の後昼食。
汗びっしょりだ。

宿舎の安房小湊の「ホテル三日月」からコックさんらのケータリング出張がプレハブ小屋に、あくまで『選手以外立ち入り厳禁』。
前を案内してくれるヒデさんの背中の『85』こそ「川崎時代のタカさん」の付けていたイコール背番号だった。
『ラーメンでいいっスか』。

氏が自らセルフ形式で運んできてくれた塩ラーメン。
思いっ切り活きが良く縮れた中華麺の明るい黄色が、透明で澄んだスープの中で、目に鮮やかだ。

手作りらしいチャーシューがおいしく、できれば「チャーシューメン」にアップグレードできなかったものか(図々しい)。
いかんせん、このキャンプでも一番偉い階級の方が「お運び」から水出しなどのサーヴして下さるのだから、あれこれ我が侭は言っちゃいけないのである。

しかしそこにはラーメン以外にも数々のヘルシーなディッシュや、あまりヘルシーではなさそうな麻婆豆腐やスタミナ焼肉、トンカツ類もあるじゃないか。

辺り見回すと(意地キタナイなあ)チクショウ、あいつなんかマネジャー補佐みたいなブンザイで、
「カレーにカツ…じゃなかったメンチ載せやがって、で、ラーメンにヤキソバかよ、若造のクセしてごっくん。こ…殺すかんね」若造だから当然たっぷり喰うのであるがね。

『(え…ラーメンだけかよ)』

ボクは本来が「バイキングの鬼」なのだ。
というのも、小学校半ばくらいの昭和30年半ばに、耳新しい「バイキング」という食べ放題制度が日本に誕生した。

それだもんで、食べ放題・バイキングかよ!それと見たら、どういう状況であれ、自然とサカリがやって来てしまう。ネコやイヌがピンと尾っぽを立て、つま先立ちするのと同じだ(笑)。

こうしたバイキングを育ててやった世代(笑)となると、イヤでも「どうしたってモトを獲る」という「ゼがヒモード」の最先頭に立ってしまうのだ(笑)。『パブロフのボウズ』の哀しいサガとでもお笑いなさいまし。

それを押し殺し、押忍!
『いえいえ、ダイエットしてますから(グッスン)』
このキャンプのいわば”専務取締役”が素ラーメンなんだよ…だって。

おいキミぃ、カネで問題はカタは付けられんかねぇ?それで済むなら(笑)カレー皿にカツと麻婆を載せて、焼肉も一つまみほど『3合い載せコラボ』したいものだな…と思った。
目の前のヒデさんはどうやらダイエット中なのか、『おにぎりでもどうです』と、2つ追加をしてくれただけで強制終了モード。
どうも対面する男へのサービス精神にちいとばかし欠けていた。

ダイエットで迷惑かけてはいけないな。

テーブルをはさんで昔話をしばし。
10日(きょう)のトライアウトに話は進んだ。
『知ってます?前野サン。「堀」がトライアウト出るんですってよ』
知らぬはずもない。

彼のバッティングがしぶといのも、タカさんの弟子だからこそ。
福浦までが公然と新聞などで、堀をシーズン中に斬ったこの”人事”に、怨嗟の声を上げていたのをご存知か。

ヒデさんの言葉には、やはり兄弟弟子の堀を、マエノがもし他球団スカウトにツテでもあれば声でもかけて…というニューアンスがあるのだろう。

「いやぁ、それより『センター返しをやらせたらホークス1』という、辻(武史)もトライアウトなんですよ。他球団でもそうした戦力で買ってくれるとこないですかね。」と逆にボクの側からチャンスを尋ねたくらい。

TVのドキュメントでも”主役”として取り上げられた09年組のホークス的場がロッテに移り、見事に後半戦を里崎故障のアナを埋めてくれたあの努力あってこそ。
どうかこの10年組に昨年以上の陽の光が当たってほしい。

これを書いていて電話のベルが鳴った。辻君だった。
『まぁ、「こんなものじゃないかな…って内容」でした』
これから今晩ゆっくり話を聴いてくる。
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プロフィール

前頭前野 重雄

Author:前頭前野 重雄
前野 重雄:東京下町生まれ&育ち。(有)流体力学・旭堂代表。

70年代以前は中学3年から週刊誌での報道取材記者、70年代初頭HAWAII移住7年。中盤からムービーカメラを回す。帰国後はライター。第1回週刊少年ジャンプ小説ノンフィクション大賞1席入選。
その後[なんでも鑑定団][うたばん][週間えみ~SHOW]で鑑定士として長期出演。雑誌連載多数。警視庁捜査一課特殊犯SIT部隊防弾装備を設計制作。単行本に「球界遺産」「客は幾万 来なくとも」など。GREE公式ケータイにブログ

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